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神戸地方裁判所 昭和35年(ワ)566号 判決 1963年2月23日

原告 林進堂

被告 昭和電工株式会社 外一名

主文

被告昭和電工株式会社は原告に対し、金二三〇万円及びこれに対する昭和三四年七月三一日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

被告河西化工株式会社に対する関係において、被告昭和電工株式会社が昭和三四年三月三一日振出した、金額二三〇万円、満期同年七月三一日、支払地東京都千代田区、支払場所株式会社富士銀行、振出地東京都港区、受取人河西化工株式会社、なる約束手形一通につき、原告が手形債権を有することを確認する。

原告の被告河西化工株式会社に対する第一次請求は棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は第一項にかぎり、原告において被告昭和電工株式会社に対し金六〇万円の担保を供するときは、仮に執行できる。

事実

第一、申立

(原告の申立)

一、第一次請求として、

被告らは原告に対し、合同して金二三〇万円及びこれに対する昭和三四年七月三一日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

主文第四項同旨

二、右請求のうち被告河西化工株式会社に対する請求が認容されないときは、同被告に対する第二次請求として

主文第二、四項同旨

三、右被告昭和電工株式会社に対する第一次請求が認容されないときは、同被告に対する第二次請求として、また右被告河西化工株式会社に対する第一次請求及び第二次請求が認容されないときは、同被告に対する第三次請求として、

被告昭和電工株式会社が被告河西化工株式会社に宛て供託した、東京法務局同三四年八月一一日受理昭和三四年度金第一九六七五号金額二三〇万円、及び同法務局同三六年四月一八日受理昭和三六年度金第二六八六号金額四、五三七円、の各供託金につき、原告が還付請求権を有することを確認する。

被告らは原告に対し右供託金還付請求手続に協力せよ。

主文第四項同旨

との判決及び右請求のうち金員の支払いを求める部分につき仮執行の宣言を求める。

(被告らの申立)

一、被告河西化工株式会社の本案前の申立

原告の第二次請求についての訴を却下する。

との判決を求める。

二、被告らの本案の申立

原告の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二、主張

(請求の原因)

一、被告らに対する第一次請求の原因

被告昭和電工株式会社(以下昭和電工という)は昭和三四年三月三一日、被告河西化工株式会社宛に、金額二三〇万円、満期同年七月三一日、支払地東京都千代田区、支払場所株式会社富士銀行、振出地東京都港区なる約束手形一通(以下本件手形という)を振出し、受取人被告河西化工株式会社(以下河西化工という)は同年六月二〇日これを拒絶証書作成義務を免除の上木村慈男に白地裏書により譲渡した。

更に、右木村は株式会社関証(以下関証という)に白地裏書により、関証は原告に右木村の白地裏書のまま交付することにより、それぞれ本件手形を譲渡した。

原告は譲渡を受けた本件手形を取立委任の目的で原治幸に交付し、右原は第一、第二裏書の各被裏書人欄にそれぞれ木村慈男、原治幸の氏名を補充した上本件手形を東京都民銀行に取立委任の目的で白地裏書により譲渡し、右銀行によつて本件手形は満期に支払場所に呈示されたが、その支払いを拒絶されたので、右原は右銀行から受戻した本件手形を原告に返戻し、原告は現にこれを所持している。

よつて、原告は被告らに対し、合同して本件手形金二三〇万円及びこれに対する満期日である同三四年七月三一日から支払いずみまで手形法所定年六分の割合による利息金の支払いを求める。

二、被告河西化工に対する第二次請求の原因

被告河西化工に対する第一次請求が認容されないならば、同被告は、自ら本件手形債権者であると主張し、盗難によつてその所持を失つたとして東京簡易裁判所に公示催告の申立をなす一方、被告昭和電工に対し原告に本件手形金の支払いをなさないように要請しているため原告は本件手形金の支払いを受けることができないでいるので、かかる手形債権行使上の障碍を除去するために、被告河西化工との関係において原告が本件手形債権を有することの確認を求める。

三、被告昭和電工に対する第二次の、被告河西化工に対する第三次の、請求の原因

被告らは、被告昭和電工は本件手形金を商法第五一八条により供託したから、同被告の本件手形債務は消滅したと主張するが、仮に右主張が認められるならば、原告は右供託金(請求の趣旨記載の各供託金)につき還付請求権を有するから、その確認と、被告らに対し右還付手続の協力を求める。

(被告昭和電工の答弁及び抗弁)

一、原告主張の請求原因事実中、被告昭和電工が本件手形を振出したことは認め、原告が本件手形の正当な所持人であることは否認し、その余の事実は知らない。

二、原告は本件手形の正当な所持人であるとの推定を受けるものではない。

本件手形の最終裏書である原治幸の裏書は、真の白地裏書ではなく、取立委任の目的でなされた銀行宛の裏書であることが手形面上においても明白な裏書である。すなわち、本件手形面上には右原の白地裏書の直後に取立受任銀行及び支払担当銀行の手形交換のための交換印が押捺されているが、左の銀行取引上の商慣習すなわち、(一)銀行は、その店舗において自己と取引あるものが銀行宛または白地式裏書をするのでなければ、手形の取立委任に応じないこと、(二)取立受任銀行が取立委任を受けた手形を手形交換に廻した場合には右手形上の右(一)の裏書の直後に持出銀行及び受入銀行の交換印が押捺されること、(三)そして右手形が不渡りになつてこれを取立受任銀行が取立委任者に返戻する場合には、右手形上の右交換印の直後の裏書欄に戻裏書をすること、以上(一)ないし(三)の商慣習に照すと、前記のごとく銀行の交換印がその直後に押捺されている右原の白地裏書は通常の白地裏書のごとく、手形の交付を受けた者に実体上の権利移転の効力を生じせしめるものではなく、銀行を被裏書人とする取立委任裏書と変りのない裏書であるというべきであつてそのことは手形面上の記載において明らかにされているところである。

すると、原告は、最後の裏書が右のごとき原の裏書である本件手形を所持していたとしても、裏書の連続した手形を所持しているものということができず、適法の所持人たる推定を受けるものではない。

また、原告が右原の裏書を最終裏書とする本件手形の交付を受けたのは、本件手形の拒絶証書作成期間経過後であるから、原告は、期限後裏書を受けた場合と同様に、かかる本件手形の所持によつて適法の所持人たる推定を受けることができない。

三、本件手形は受取人被告河西化工が金庫に保管中同三四年四月一三日夜半木村慈男によつて盗まれたものであつて、同被告の第一裏書は右木村によつて偽造されたものである。したがつて右木村は本件手形につき無権利者であつたところ、原告は、右木村が無権利者であることにつき悪意または重大な過失がありながら、本件手形を右木村から譲り受けたものである。原告に右悪意または重大な過失があつたことについての具体的な主張は別紙一<省略>に記載するとおりである。

四、仮に原告が本件手形債権を取得したとしても、被告昭和電工は、本件手形の公示催告を申立てた被告河西化工の要請に応じて、商法第五一八条に基づいて本件手形金及びこれに対する満期から供託日まで手形法所定の利率による利息を供託したので、右供託により同被告の原告に対する本件手形債務は消滅した。商法第五一八条所定の供託が供託者に債務消滅の効果を与えるものであることの所以は、別紙二に記載するとおりである。

(被告河西化工の本案前の主張)

原告の被告河西化工に対する第二次請求は確認の利益に欠けているから不適法として却下されるべきものである。すなわち、原告が本件手形債権者であることを同被告との間で確認する必要も利益もない。

(被告河西化工の答弁及び抗弁)

一、原告主張の請求原因事実中、被告昭和電工が本件手形を振出したことは認め、被告河西化工が本件手形につき裏書したこと及び原告が本件手形の正当の所持人であることは否認し、その余の事実は知らない。

二、本件手形は裏書の連続を欠いている。

すなわち、本件手形の窃盗犯人木村慈男は神戸地方裁判所において同三六年二月九日窃盗、有価証券虚偽記入、同行使、詐欺の各罪名によつて有罪判決を受け、これは確定したが、右判決によつて本件手形の被告河西化工名義の裏書部分は没収されたので(同年四月二七日執行)、本件手形は裏書の連続を欠くに至つた。

三、本件手形は被告河西化工が保管中、木村慈男によつて盗まれたもので、同被告の第一裏書は右木村の偽造にかかるものである。

そして、第三裏書人である原治幸は右木村が無権利者であることにつき悪意であり、原告は右原からその最終白地裏書ある本件手形の交付を受けることによつてこれを取得したが、その際右原が無権利者であることにつき悪意であつた。また右交付は期限後になされたものであるから、原告は右原の悪意を承継するものであつて、いずれにしても、原告は本件手形を善意取得するものではない。

原告は本件手形上において裏書人または被裏書人としてその名をとどめないものであるから、右期限後の引渡によることのほか本件手形を譲受けることができないものであるが、仮に右木村から譲受けることができ、これが認められるとしても、右木村が無権利者であることにつき悪意または重大な過失があるから、本件手形を善意取得しない。

五、被告昭和電工の主張事実中二及び四の事実を援用する。

(右被告らの主張に対する原告の主張)

一、原告が本件手形の正当な所持人でないという被告らの主張について

被告ら主張の銀行取引上の商慣習のうち、(一)は認める、(二)のうち持出銀行及び受入銀行が交換印を押捺する慣習があることは認めるが、その押捺場所は手形裏書欄末尾の手形金受領欄である、(三)は否認する、銀行は戻裏書をせず、そのまま取立委任者に返戻するのが通常である。

そして、右原の白地裏書が株式会社東京都民銀行に対する取立委任の目的でなされたとしても、右原において本件手形上にその旨の表示をしないかぎり、右原の裏書は白地裏書としての完全な効果を有するものであつて、被告ら主張の本件手形上における交換印押捺の事実は、右効果を妨げるものではない。右の理論は、原が右銀行から、右白地の補充も裏書もなく、本件手形の返還を受けた上、右白地を補充せずして、白地裏書のまま原告に交付返還したときも同様であつて、原告はこれにより本件手形の正当な所持人となり、完全な手形上の権利を取得する。

二、原告が本件手形を善意取得していないとの被告らの主張について

右主張を否認する。原告は同三四年六月二四日本件手形を関証から取得し、その際右会社から本件手形の入手経路等につき合理的な説明を受け、かつ事前に被告昭和電工大阪営業所において本件手形が同被告において真正に振出されたものであることを確めたのであつて、本件手形の第一裏書が偽造であつて木村慈男が無権利者であつても、そのことにつき原告は善意かつ無過失である。

三、商法第五一八条の供託によつて本件手形債務が消滅したとの被告らの主張について

被告河西化工が本件手形につき公示催告の申立をなした事実は認めるが、被告昭和電工が本件手形金を商法第五一八条に基き供託した事実は知らない。

仮に右供託の事実があつても、右供託によつて被告昭和電工の原告に対する本件手形債務までが消滅するものではない。右所以については別紙三に記載するとおりである。

第三証拠<省略>

理由

第一、被告らに対する第一次請求について、

一、被告昭和電工が本件手形を振出したことは当事者間に争いがない。

二、甲第一号証の裏書欄の記載に弁論の全趣旨を総合すると、本件手形には第一裏書として受取人被告河西化工名義の裏書、第二裏書として第一裏書の被裏書人木村慈男名義の裏書、第三裏書として第二裏書の被裏書人原治幸名義の白地裏書が存在し、原告は現にこれを所持していることが認められ、右認定に反する証拠はない。すると、原告は、裏書が連続しかつ最後の裏書が白地裏書である本件手形を所持することになり、適法の所持人であると推定される。

被告らは、右原の白地裏書は、その直後に取立受任銀行及び支払担当銀行の手形交換のための交換印が押捺されているから被裏書人として取立受任銀行を明記した取立委任裏書と変りはなく通常の白地裏書としての効力を有しない裏書であると主張する。しかし、たとえ右原の白地裏書が取立委任のためになされたものであつてそのことが右交換印の存在からいつて本件手形面上において明らかなものであつても、右交換印は右各銀行によつて手形交換手続の過程において押捺されるもので裏書人のする被裏書人の表示と同一のものとは考えられないから、かかる交換印が本件手形上に押捺されているからといつて、右原の白地裏書を通常の白地裏書と同一の効力を有しない裏書であるとはいうことができない。よつて前記被告らの主張は採用できない。

また被告らは、原告が右原の裏書を最終裏書とする本件手形の引渡を受けたのは、本件手形の拒絶証書作成期間経過後であるから、原告はかゝる本件手形の所持によつて適法の所持人たる推定を受けることができないと主張するが、期限後における白地裏書ある手形の交付といえどもいわゆる資格授与的効力を有するものと解せられるので、これと異つた見解に立つ右被告らの主張は採用することができない。

また、被告河西化工は、本件手形の第一裏書である同被告名義の裏書部分は刑事判決の執行によつて没収されたので、本件手形は裏書の連続を欠くに至つたと主張するが、右主張は独自の見解に基くものであつて、これを採用することはできない。

三、成立に争いのない甲第五号証の六、乙第八号証によると、本件手形は、受取人被告河西化工がこれを保管中、昭和三四年四月一四日ごろ木村慈男によつて盗まれたものであつて、同被告の第一裏書は右木村が偽造したものであることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

すると、まず原告の被告河西化工に対する第一次請求は、その余の点について判断するまでもなく、すでに右の点において理由がないといわねばならない。

四、次に、右認定事実によると、右木村は本件手形上の権利を有効に取得したものではないというべきところ、被告らは原告は本件手形を無権利者たる右木村から取得したものでありかつその際右木村が無権利者であることにつき悪意またはこれを知らないことにつき重大な過失があつたと主張するので判断する。

(一)、原告が本件手形を取得するに至つた経過について、

成立に争いのない甲第五号証の四、五、乙第八号証、原本の存在及び成立に争いのない丙第一二号証、証人国沢庫太、同江銘勝、同薛徳潤の各証言を総合すると、前記木村は前記のとおり本件手形を窃取し被告河西化工の裏書を偽造した後、同三四年六月二三日頃その割引方を金融業加藤栄一に依頼したが、右加藤は右割引方を金融業関証に取次ぎ依頼し、更に右関証を代理して国沢庫太がこれを金融業者である原告(事務所、大阪市東区北久太郎町三丁目二二)に取次ぎ依頼したところ、原告は右依頼に応じて右木村のために本件手形を割引き、右木村から本件手形を白地裏書により譲渡を受けたこと、原告は本件手形の支払地が東京都であるので、東京都で取立てるため原告の東京駐在員薛徳潤に本件手形を送付したこと、同人は予てから妹婿の原治幸の名義で東京都民銀行と預金取引をしていたので同銀行を通じて本件手形金を取立てることにして本件手形の第三裏書欄に裏書人として原治幸の氏名を記載して同銀行を通じて後記認定の如く呈示したが、本件手形は盗難届があることを理由に不渡となり薛に返戻され、更に大阪市にある原告の営業所に返送されたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、原告は本件手形を形式上は原治幸から裏書譲渡を受けたことになつているが、実質上は右木村慈男のために本件手形を割引いた際同人から裏書譲渡を受け、その後本件手形を所持している者ということができる。

(二)、原告の悪意について

原告が本件手形を右木村から取得した際右木村が無権利者であることにつき悪意であつたと認めるに足りる証拠はない。

もつとも、前記甲第五号証の五、原本の存在及び成立に争いのない丙第七号証の一三の二、証人国沢庫太の証言によると、本件手形の割引の仲介に当つた前記加藤は右仲介当時前記木村が無権利者であることを察していたこと、また右加藤から本件手形の割引方の依頼を受けた前記国沢は右加藤から本件手形につき振出人、受取人、支払担当銀行に対して照会することはしないでくれと言われていたことを認めることができるが、原告が本件手形を取得するに際し右認定の事実を知つていたことを認めるに足りる証拠はない。

また、証人国沢庫太の証言によつて成立の認められる甲第三号証の二、証人国沢庫太、同江銘勝の各証言によると、原告は本件手形を取得するに際し、その仲介をなした前記国沢から、本件手形につき事故が生じたときは前記関証において責任を負担する旨を表示した保証書(甲第三号証の二)を受取つていたこと、(但し甲第三号証の二の記載中右印刷による責任負担文言に続いて特にペン字で書き加えられている「盗難、欺取による事故の場合も同然」という文言の部分は、右保証書を原告が受取つたときにすでに存在したものではなく、後日原告の要求によつて右国沢が加筆したものであること)を認めることができるが、証人江銘勝、同国沢庫太の各証言によると、右のごとき加筆のない保証書の差入れは原告と関証との手形取引において従来慣習的に行われていたものであることが認められるので原告が関証から右保証書を受取つたとしても、これをもつて前記原告の悪意を推定すべき事情であるということはできない。

(三)、原告の重過失について

(1)  原本の存在及び成立につき争いのない丙第七号証の一、二、証人国沢庫太、同江銘勝、同山本貢、同山口政明の各証言を総合すると、原告は手形割引業者であつて、本件手形の白地裏書譲渡を受けた前記木村とは以前には一面識もなかつたものであるが、前記関証の仲介によつて右木村から本件手形を取得するにあたり、原告の使用人である山本貢をして被告昭和電工大阪営業所に赴かせ、同営業所の経理担当社員である山口政明から本件手形が同被告振出にかゝるものであることの確認を得たが右以外には本件手形について振出人、裏書人について調査したり、事故の届出の有無を確かめたりしたことはなかつたこと、しかし、原告は右本件手形の取引につき仲介をなした右関証とは同三二年以来継続して手形取引関係をもつていた間柄でありその取引高は毎月約三〇〇万円に達していたが、本件手形以外に右関証の仲介によつて原告が割引いた手形に事故手形はなかつたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

而して、一般に、手形割引業者が従来一面識もなかつた者から手形を取得する場合においても、右手形取引が従来相当期間に亘つて事故なく手形取引を行つてきた者の仲介によつて行われたときには、当該取引に当り特に手形譲渡人が無権利者であることを手形取得者に推測せしめるような事情の存しないかぎり、手形取得者において当該手形の譲渡人が無権利者であるかどうかにつき調査き注意義務はないと解すべきである。

したがつて、前記認定事実によると、原告が本件手形を取得するに際し、前記木村が無権利者であることを原告に推測せしめるような事情の存しないかぎり、原告は本件手形につき前述のような調査をしなかつたとしても、右木村が無権利者であることを知らなかつたことにつき重大な過失があるものというべきではない。

そこで、原告に前記譲渡人についての調査義務を発生させるに足りるべき右のごとき事情が存するか否かについて判断する。

証人江銘勝の証言によつて成立の認められる甲第四号証の二証人江銘勝、同国沢庫太の各証言を総合すると、本件手形は東京都において振出されたものであるのに、大阪市内の原告営業所に割引方依頼があつたこと、本件手形は従来関証が原告に割引方依頼してきていた手形に比して金額も大きく信用度も高いいわゆる一流手形であること、右原告に割引方依頼当時関証は整理の段階にあつたことを認めることができる。しかしながら手形流通性確保の要請に鑑みるとき、右認定のごとき事情が存しても、原告はいまだ前記譲渡人についての調査義務を負担するに至るものと解することはできず、他に原告に対し右調査義務を負担させるに充分な事情を認めるに足りる証拠はない。

すると、原告は、右譲渡人についての調査義務を負うものといえず、しかも本件手形の取得の際、原告は前述のとおり本件手形の振出の事実を被告昭和電工大阪営業所において確認したのであるから、右確認以外に本件手形の取得にあたり本件手形に関する調査をしなかつたとしても、原告に前記重大な過失があるものということはできない。

(2)  次に、成立に争いのない乙第三号証の一、二、丙第二号証の一、二、同第二号証の三の一ないし四、原本の存在及び成立につき争いのない丙第五号証の八、同第六号証の一七によると、被告河西化工は前記本件手形の盗難にあつた翌日所轄警察署に盗難届を出し、同三四年四月中には全国警察署に盗難手形の品触れを廻し、また同月中に帝国興信所報、神戸新聞に本件手形の無効公告を出し、同年六月一九日には東京簡易裁判所に本件手形の公示催告を申立て、これは同年七月一〇日付の官報に公告されたことを認めることができる。しかし、右公示催告が官報上に公告されたのは原告が本件手形を取得した後のことであり、手形割引業者といえども、手形喪失者が日刊新聞、興信所報等になした手形無効公告や警察においてなされる盗難手形の品触れを調査しておかなくてもこれをもつて重大な過失があるとはいえないものと解せられるから、原告が前記認定の事実を知らなかつても、前記重大な過失があるものということができない。

(3)  その他原告が前記重大な過失を有するものと認めるに足りる証拠はない。

五、そして、本件手形が満期に支払場所に呈示されたが支払が拒絶されたことは、成立に争いのない甲第一号証の表面符箋部分及び証人薛徳潤の証言によつて、認めることができる。

六、すると、被告昭和電工は原告に対し、本件手形金債務及び満期以降の本件手形利息金債務を負担するに至つたというべきであるところ、同被告は右手形金及び利息金を商法第五一八条に基き供託したから右各債務は消滅に帰したと主張するので判断する。

商法第五一八条の法意は、有価証券の所持人がその証券を喪失した場合右証券上の権利を行使するためには公示催告を申立てゝ除権判決を得なければならないが、そのためには少なくとも六ケ月の公示催告期間を要し、その間証券の目的物が滅失、毀損したり債務者が無資力になつたりするおそれがあるので、有価証券の喪失者の保護をはかり、ひいては有価証券取引の敏活を期するために、有価証券の喪失者に対し、同人が公示備告を申立たことを要件に債務者をして債務の目的物を供託せしめうる権利を与え、債務者に対し右供託の義務を課したものであると解せられる。

右の法意に照すと、商法第五一八条の供託は、これを要求した公示催告申立人のためになされるべきものであつて、供託物の還付請求権を有するものは右公示催告申立人のみであり、したがつて右供託によつて生じる債務消滅の効果は右公示催告申立人に対してのみ対抗しうるにすぎないものと解するを相当とする。

すると、前記被告昭和電工主張の商法第五一八条に基く各供託によつて生ずる債務消滅の効果は、原告に対して対抗することができないから、前記同被告の本件手形債務消滅の主張は主張自体において失当であり、採用することができない。

すると、被告昭和電工は原告に対し、本件手形金二三〇万円及びこれに対する満期である同三四年七月三一日から支払いずみまで手形法所定の年六分の割合による利息金を支払うべき義務がある。

七、よつて、本訴請求中原告の被告昭和電工に対する第一次請求を正当として認容し、原告の被告河西化工に対する第一次請求を失当として棄却する。

第二、被告河西化工に対する第二次請求について

一、被告河西化工の本案前の申立について

被告河西化工は、原告が本件手形債権を有することを同被告との間で確認する必要も利益もないと主張するが、弁論の全趣旨によると、同被告は原告が本件手形債権者であることを否認するばかりではなく、同被告が本件手形債権者である旨を主張していることが明らかであるから、原告と同被告との間の右本件手形債権の帰属をめぐる紛争を解決するために提起された原告の右第二次請求についての訴は、確認の利益を欠くものとはいうことができない。

二、本案について

原告が本件手形債権を有することは、前述のとおりであるから、これが確認を求める原告の被告河西化工に対する第二次請求は理由があるのでこれを認容する。

第三、よつて、原告の被告昭和電工に対する第二次以下の請求及び被告河西化工に対する第三次請求について判断をなさず、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上喜夫 奥村長生 黒田直行)

別紙 二

商法第五一八条所定の供託が供託者に債務免脱の効果を与える事はあまりにも自明の理であつて、原告の右各書面における様々の主張を以てしても動かし難いところである。従つて此供託に免責の効果なきことを前提とした被告昭和電工に対する原告の本訴請求は、既にその点で成立つ余地なきものである。以下にその所以を詳述する。

一、有価証券喪失の場合の弁済供託に関する商法第五一八条は、民法第四九四条の特則である。従つてその効力等については当然弁済供託の一般規定たる民法第四九四条以下の適用をうける。

(一) 有価証券喪失時の供託につき、法が特則を設けるのは故なしとしない。一般に有価証券を喪失した者が証券上の権利を回復する方法としては、公示催告手続により除権判決を得るのが最良の途であるが、それでも手続に六カ月を遙かに超える時間がかゝる。そこで一方喪失者の側からすれば、この長期間における債務者の資力変動の惧れを考えて、公示催告申立後できるだけ早い時期に供託(履行もあるが暫くおく)を求める必要を生ずるのであるが、他方債務者の側からすると権利届出期間の満了前たるこの時点では、未だ証券上の権利を争う者の有無、有るとしても何人かを覚知し得ない場合が多いのである。何となれば喪失証券の取得者は六カ月の期間中であれば任意の時点に於て権利届出が可能であり、従つて権利を争う者の現れる可能性は六カ月の期間の全般にわたつて存在し続けるからである。そこで斯かる場合にも民法の一般原則そのままであると、債務者は供託の相手を何人とすべきかは勿論、そもそもいかなる供託をすべきかの選択に迷わざるを得ず、供託時に於て最善を尽しても後日供託の効力を否定される事になりかねないのである。又、供託当時権利届出期間は満了前にせよ履行期は到来後であるのが通常であるから、呈示はありうるしそれにより呈示した握持者は知り得るであろう。然し有価証券の本質たる極度の流通性を保護する為の諸制度により、喪失証券の権利を争う者が呈示者のみに止らぬ場合も、更には呈示者以外の者である場合すらあり得るのである。(特に白地裏書による呈示の場合などに屡々起る。本件もその例であるが)

こうした民法の予想せぬ有価証券特有の現象の下にあつては、弁済供託の要件として民法第四九四条を適用する事は殆ど不可能であり、斯かる困難を救う為に商法第五一八条が特則として設けられ、証券喪失者を名宛として有効に供託を行わしめる事とされているのである。

(二) 商法第五一八条が民法第四九四条以下の一般規定に対する特則の関係にある事は、法規の位置体裁等によつても明かである。民法第四九四条以下数条は弁済供託の効力(債務免脱)その他に関する総則規定たる位置にある。その為各個の具体的な弁済供託の特則としては商法上も五一八条の他五二四条、五八五条、七五四条等多数あるにも拘らず、之ら特則中には効力その他についての条項を欠いている。然しその事は之ら商法による弁済供託が免責の効果をもたない為でなく、弁済供託に共通するそうした効果等はすべて民法の一般規定に委ね、重ねて規定する必要がないからである。五一八条一つを取出さずに殆ど同種の諸規定を全体として観察すればこうした関係は一目瞭然である。更にいえば、本来弁済供託は債務消滅の一原因とされており、弁済供託と債務免脱とは本質上裏表の関係にある。適法な弁済供託をすれば免責は必然であり、免責なき弁済供託は自己矛盾である。しかも供託は弁済(履行)そのものによらざる債務消滅原因である為必ず常に法文上の根拠を必要とし(供託規則一三条二項五号参照)之無くして濫りに行うを得ないのである。そうした本質からすれば反対に、法文上供託を許容し又は義務づけている時はその法条に定める通りの供託を行う限り必ず免責が保障されていると解すべきである。商法第五一八条に因る供託であれば同条の要件さえ充せばそれで免責となるのが当然である。若し一歩譲つて、五一八条の供託が債務者に債務消滅の効果を与えないと仮定するならば、そのような供託は供託の意味をなさず債務者として供託してもしなくても変りないような供託では全く実益なき空文に等しいものとなつてしまうのである。然し右に掲げた如く供託の根拠規定のもつ意義からすれば法が斯かる無用な供託を明文を以て定めるとは考えられないところである。

二、商法第五一八条には供託と履行と二個を規定しているが、同条内でこの両者を対比するだけでも同条の供託に債務免脱を生ずると解さなければ履行の場合との間に著しく均衡を失する事が明かであり、到底それ以外の解釈を容れる余地は無い。

五一八条は供託と並んで履行(支払)の場合を選択的に規定して居り、この二者が同格対等に扱われている事は明白である。而して履行の場合については特に喪失者に対し「相当ノ担保ヲ供」せしめるのに対し供託の場合には担保供与は不必要である。即ち五一八条に於て供託は担保を供せしめての履行と債務者にとつて同価値と見られているのである。ところで同条の履行が担保供与を要件とするのは、履行が受領者以外の第三者に対しては何の効果も及ぼし得ない事からして、受領者(証券喪失者)が若し終局的に権利者で無かつた場合、債務者が履行を以て権利者に対抗しえぬ事態に備えての事であり、担保は二重払の危険を免れしめる為とされている。(原告も準備書面(3) に引用の通り通説である。)そうである以上同条の供託が若し履行と同様に喪失者以外の者に対して債務消滅の効果を有しないものであるならば、供託に対しても履行と同等の担保供与をせしむべきが当然であり、同条が敢てそのように規定していない事こそこの場合の供託が履行と異り債務免脱の効果を有する証拠である。

債務者は履行はもとより供託も何もせずに放置していた場合でも、権利を争う者の間で権利者が確定されるのを待つた上確定された権利者に券面額(及利息)を支払えばそれで足りる。然るに若し五一八条の供託が債務消滅の効果を生じないとすると、喪失者以外の者が権利者とされた時は供託した券面額以外に一時的にせよ更にほゞ同額の出捐を強いられる結果となる。換言すれば本来の履行の他に権利を主張する者等の争が終了するまでの間更にそれと同額程度の金員を担保もなしに供託し固定させ続けるという過大の負担を債務者が負わされ、供託金取戻までの短期間にせよ二倍の出捐が必要となるのである。然し斯かる特別の負担を債務者に課しうべき法律上の根拠はどこにも見当らない。元来債務者が自ら危険を負担して債務を履行する事は敢て五一八条をまつまでも無く可能である。それに対し同条の存するのは履行に当り担保供与を命じて債務者の危険を除くところにその意義が見出される。それであれば同条の供託の方が、当然に免責の効果をもつ一般の場合以上に債務者に不利な負担を課する如きものであつては、履行の場合に比し明かに不均衡であり、そのような結果が同条の解釈として許容される事はありえない。

三、五一八条の供託は証券喪失者のみ宛に行われるが、之はその者の名宛を以て権利者を代表する趣旨で、実質上は名宛に関係なく権利者に対する供託であり権利者は之を受領し得るから、この供託が債務消滅を齎しても何ら支障はない。

五一八条の供託は証券喪失者宛で行われるが、その理由は前述の如く供託時に於て権利を争う者の氏名はおろか有無すら不明の場合が多く、争う者全員宛に供託せねばならぬとすれば有効な供託をする事が不可能となる(催告期間満了まで待てば明確になるがその六ケ月間の資力担保の為の供託である以上待つては無意味)という特殊事情下にあつて、便宜上喪失者のみの名を以て権利者を代表せしめているに過ぎず実質は権利者宛の供託である。従つて喪失者名宛ではあつても、四九四条後段で権利を争う者全員を名宛にした時と変りないのである。(供託規則一三条二項六号でも受領者を書くのは受領すべき者が定つている場合に限られ、明確でない場合にはこの記載は要件でないから、便宜喪失者を代表させる事にしても供託法規とも何ら牴触しない。)

その為供託名宛人となつた喪失者といえども供託を受領するには除権判決によつて権利者と確定される事が必要で、若しその間権利届出により争う者が現れた状態では喪失者といえどもそのまゝでは受領できないのである。従つて又権利主張者間の争いにより確定された権利者はたとえ名宛人以外の場合でもそのまゝ供託を受領し得る。若し此場合名宛人のみしか受領できないものなら喪失者以外の者に債務消滅を主張し得ぬかもしれないが実際にはそうでないのである。

別の面からいえば、同じく債務消滅を生ずるにせよ供託は履行のように何ら残らなくなるのでなく、それによつて新たに生じた供託所に対する供託物請求権に化体しこの請求権が存続する。そして例えば民法第四九四条後段の場合でも、列挙された名宛人が全員共同で受領するのでも無くその中の誰でもが受領し得るのでも無くその中で権利者と確定した者のみが受領し得るように、商法第五一八条の場合でもこの供託物請求権が権利者に帰属し権利者のみが受領しうる事に変りはないのである。

従つて五一八条の供託により民法の場合と同様債務消滅を生じても、それにより何人の権利侵害も無く何らの損害発生も無い以上全く不都合は生じないのである。

四、五一八条に関する学説中でも供託の効果に言及したものは左に掲げるもの等極く少数で、しかも極めて簡単な叙述であるが、いづれも筆を揃えて免責の効果を認めている。おそらくあまりにも自明の理である為学説が言及せず又言及しても敢て詳述の要を認めなかつたものであろう。従つて勿論免責を否定する反対説は全く見当らない。

石井照久 改訂商法(保険法有価証券法)一四九頁

なお、供託したときは債務者は債務を免れるが、証券喪失者は除権判決後でなければ供託物を受けとりえない。

野村次夫・原田鹿太郎 商行為法四七頁

右供託を為したときは債務者は債務を免れるが、証券喪失者は除権判決後でなければ証券なくして供託物をうけとることは出来ない。

別紙 三

供託による免責の抗弁に対する反論

(1)  被告昭和電工の昭和三五年一二月一四日付準備書面の「第二」の「三」の主張の認否

(イ) 本件手形について被告河西化工が東京簡易裁判所に対し公示催告の申立をした事実、及び昭和三四年七月一〇日付官報に公告された事実は認める。

被告河西化工の右公示催告申立の日及び被告昭和電工が本件手形金を商法第五一八条により供託した事実は知らない。

(ロ) かりに右供託の事実があるとしても、それは被告昭和電工が本件手形について支払のための呈示を受けた後、すなわち昭和三四年七月三一日以後のことであり、かつこれは被告河西化工の請求により被告河西化工のために供託したものであつて、被告河西化工以外のいかなる第三者のためにも供託したものでないことは明らかである。

(2)  かりに被告昭和電工が被告河西化工の請求に応じ本件手形金全額を商法第五一八条によつて供託したとしても、その供託によつて原告に対する債務を免れることはできない。

被告昭和電工は、「被告昭和電工は本件手形金を商法第五一八条により供託したので既に債務を免れている」と主張するが、これは明らかに法律の誤解によるものである。公示催告の申立をした者の請求により、債務者が請求人のために商法第五一八条によつてその債務の目的物を供託し又はその証券の趣旨に従つて債務の履行をした場合、債務者の公示催告申立人である請求者に対する債務はこれを免れることはあつても、請求者以外の第三者に対する債務に対しては、なんらの影響をも及ぼすことはないのである。すなわち、被告昭和電工が被告河西化工の請求により、商法第五一八条に基いて同被告のために本件手形金額を供託し又は支払を完了したとしても、原告に対する債務は依然として残存するのである。

以下このことを明らかにするためにいささか詳細に説明する。

(3)  民法第四九四条は債権者が弁済の受領を拒み又は之を受領すること能わざるときは、弁済者は「債権者ノ為メニ」弁済の目的物を供託してその債務を免れることができる、弁済者の過失なくして債権者を確知することができないときも同様である、ということを規定している。この場合弁済供託によつて債務を免れることができるのは、債権者は供託により直接に供託所または供託物保管者に対して供託物引渡請求権を取得するからである(我妻債権総論一五六頁、於保債権総論三七〇頁、我妻有泉債権法コメンタール一九二頁等)。

然るに商法第五一八条は、金銭その他の物又は有価証券の給付を目的とする有価証券の所持人がその証券を喪失した場合において公示催告の申立をなしたときは、申立人は債務者にその債務の目的物を供託せしめ、または相当の担保を供してその証券の趣旨に従つて履行をさせることができる旨を定めている。この立法の趣旨は、除権判決を得るまでには、少くとも六箇月の期間を要し(民訴七八三条)、この期間中に、あるいは証券の目的物が滅失又は毀損する危険があり、あるいは債務者が無資力となるおそれがあるから、公示催告申立人の保護をはかり、以て有価証券の取引の敏活を期したのである(通説)。この供託により権利を取得するのは公示催告申立人のみであつて、その他の第三者はなんらの権利をも取得するものではない。供託によつて供託者の債務が消滅することがあるとすれば、それは公示催告申立人に対する債務のみであつて、その他の第三者に対する債務についてはこの供託はなんらの効果をも及ぼすものではない。公示催告申立人が債務者に対して「その履行をなさしめる場合において相当の担保を供せしむべきものとするは、除権判決確定以前には他の所持人が権利を主張し債務者をして二重の弁済を為すに至らしむる」おそれがあるからに外ならないのである(松本商行為一〇二頁、同旨松岡綱義中四一六頁)。

(4)  被告昭和電工が供託をしたとしても、それは本件手形の呈示を受け、被告河西化工以外に本件手形を所持しているものがあることを知つた後のことである。かりに被告河西化工の主張するように被告河西化工が盗難によつて本件手形を失つたものであるとしても、その満期前に原告が本件手形を善意取得している以上、被告河西化工は本件手形上の権利を完全に失つているのである。ゆえに、たとえ被告河西化工が本件手形について公示催告の申立をしても、除権判決のある前に権利の届出がなされた以上、右申立自体が不適法であるか理由がないものであつて、却下せらるべきものである。(被告河西化工としては、手形所持人があることが明らかな以上、本件手形の権利を回復するためには、公示催告によらず、手形所持人に対して本件手形の引渡を請求し、これを回収することを要する。然るに本件においては、被告河西化工が本件手形を回復することは法律上不可能となつていることは、前記のとおりである)。果して然らば、被告昭和電工は、被告河西化工が本件手形の権利者でないことを知りつつ、あえて被告河西化工の請求に応じて、商法第五一八条に基づき、被告河西化工を指定受取人(供託物の還付を請求しうべき者)として手形金の供託をしたのである。かかる場合に、供託の効果は請求者であり指定受取人である被告河西化工に対しては発生することがあつても、本件手形の正当な所持人に対する債務については、なんらの効果をも生じないのは、理の当然である。

(5)  民法第四九四条後段は、弁済者の過失なくして債権者を確知することができないときは、弁済者は債権者のために弁済の目的物を供託してその債務を免れることができる旨を定めている。もしも被告昭和電工が、本件手形を呈示した者が正当な権利者であるか否かに疑いを抱いたとするならば、民法第四九四条後段に基づいて(手形の額面に支払期日以降年六分の割合の金員を加えた額を)弁済供託をすべきであつた。そうすれば、本件手形債務上の債務は免れたであろう。然るにこの弁済供託をせず、公示催告の対象物である本件手形について、被告河西化工が除権判決を受けることはもはや絶対に不可能であることが判明した後に、あえて債務者である被告昭和電工が被告河西化工の請求に応じて、(手形の額面金額のみを)被告河西化工を指定受取人として供託したとしても、それは被告昭和電工が悪意または重大な過失によつて正当な債権者以外の第三者(被告河西化工)のために供託したものに外ならず、これによつて生ずる不利益はすべて悪意または重大な過失のある供託者(被告昭和電工)が負担すべきものである。

(6)  供託法第九条は、供託者が供託物を受け取る権利を有しない者を指定したときは、その供託は無効であることを規定している。商法第五一八に条より、公示催告申立人である請求者を指定して債務の目的物を供託した場合、請求者が除権判決を受けたときは、結局供託物を受け取る権利を有する者を指定したことになるから、その供託は有効となるであろう。

これに反して、除権判決が得られなかつたときは、その供託は効力を失うべきは当然である。これは結局供託物を受け取る権利のない者を指定して供託がなされたことになるからである。本件においては、本件手形権利者は原告であり、被告河西化工は被告昭和電工が商法第五一八条に基づいて供託した供託の目的物を受け取る権利がないのであるから、結局その供託は供託者が供託物を受け取る権利を有しない者を指定してなされたこととなり、実質上無効である。すなわち、被告昭和電工の供託は、公示催告申立人に対する被告河西化工に対する関係は別として、少くとも真正の債権者である原告に対する債務についてはなんらの効果をも及ぼすべきいわれは、絶対にないのである。

(7)  なお、弁済供託が有効とされるためには、その供託が債務の本旨に従つたものでなければならぬことは、もちろんである。商法第五一八条による供託においても同様である。然るに被告昭和電工が被告河西化工を受取人に指定して供託した額は、手形金額にこれに対する支払期日以後供託の日まで年六分の率により計算した利息を加えた額ではなくて、手形金額のみである。本件手形は支払期日に適法に呈示されたのであるから、被告昭和電工は手形金額のみならず、これに所定の利息をも加算して供託しなければ、債務の本旨に従つたとはいえない。この点から見ても、被告昭和電工の供託は、原告に対する債務についての供託としての効力を有しないものといわねばならぬ。

(8)  これを要するに、かりに被告昭和電工の主張するような供託の事実があるとすれば、被告昭和電工は、期日に適法に本件手形の呈示を受け、本件手形に関する被告河西化工の公示催告または除権判決の申立は却下せらるべきものであることを知りながら、被告河西化工の請求に応じ、商法第五一八条に藉口して、債務の本旨に副わない金額を、債権者でないことを熟知しながらあえて被告河西化工を受取人と指定して、供託したものであつて、この供託は本件手形の正当な権利者である原告に対する債務に対しては、なんらの影饗を及ぼさないものである。かりにこのような供託によつても、供託物の受取人として指定されていない真正な債権者に対する債務が消滅するものとすれば、被告昭和電工は被告河西化工と共謀し、本件手形の真正な権利者(原告)の権利を害することを目的としてこの供託をしたものであつて、かかる不法な目的のもとになされた供託によつて債権者である原告の権利が消滅したと主張することは、権利の乱用であつて、被告等にとつて許されないところである。

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